2009年12月17日

釜山タワー(大韓民国)

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Busan Tower
対馬海峡(朝鮮海峡)に面した釜山広域市にある展望タワー。
1973年完成、高さは120mである。入場料は4000ウォン(約320円)。

タワーがあるのは、市内でも有数の観光地である龍頭山公園。
丘の上にある公園で、ふもとからはエスカーレーターで上がる
ことができる。この公園には豊臣秀吉による朝鮮出兵
(文禄・慶長の役)の際に水軍を率いて活躍した李舜臣の像が
あることでも有名。日本とも関わりの深い場所で、17〜18世紀に
かけては草梁倭館という日本人居留区があった。
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2009年12月16日

エスタディオ・クアウテモック(メキシコ)

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Estadio Cuauhtémoc
首都メキシコシティから南東に80kmほど、プエブラ州の州都
である高原都市プエブラにあるスタジアム。1968年完成、
収容人員は約47,000人。クアウテモックは征服者である
コルテスと争ったアステカの王の名前である。

もともとは1968年に開催されたメキシコオリンピックのサッカー会場
として使用されるために建設。その際には日本代表もここで試合を
行い、ナイジェリア戦では釜本邦茂がハットトリックを達成している。
また1970,1986の2度のワールドカップ開催でも会場として使用された。

現在はサッカーメキシコリーグの1部に所属するプエブラFCと、2部に
所属するBUAPというチームのホームスタジアムとして利用されている。
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2009年12月14日

メロエ遺跡(スーダン)

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Nubian pyramids
歴史上、古代エジプトとその南にある現在のスーダン北部、
ヌビア地方は深いかかわりをもっていた。クシュと呼ばれる文明が
発達し、エジプトに支配された時期もあったし、クシュがエジプトを
征服した時期もあった(エジプト第25王朝)。

ナイル川沿いの都市、メロエ(Meroë)は紀元前3世紀から3世紀に
かけてクシュの都として栄えた。その頃につくられたのがヌビアの
ピラミッド群である。王族の墓であるピラミッドは、エジプトのものに
比べて小さいが傾斜角が高く、尖った形をしているのが特徴。
高さは大きいもので30mほどである。
メロエ以外にもピラミッドはあるが、メロエが最も有名で約30の
ピラミッドが存在する。多くのピラミッドは盗掘や崩壊のために
頂上部が崩れている。
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2009年12月12日

ストロンボリ島(イタリア)

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Isola di Stromboli
地中海に浮かぶ火山島。「ストロンボリ式噴火」の名前の
由来となった火山、ストロンボリ火山(標高926m)がそびえる。
シチリア島の北に浮かぶエオリア諸島の北東端に浮かび、
ブルカノ島などとともに諸島全体が2000年に世界遺産に
登録されている。島の人口は500人ほど。

ストロンボリ火山は非常に活発で、大規模・小規模な噴火を
繰り返している。その短期間での爆発の繰り返し、マグマや
火山弾の放出を特徴とするものが「ストロンボリ式噴火」と
定義されている。

古くからその活発な火山活動は知られており、夜中にもマグマの
噴出が見えたことから「地中海の灯台」と呼ばれたという。
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2009年12月10日

カリカット(インド)

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Calicut
現在の都市名はコージコード(Kozhikode)。インド南部にある
インド洋に面したケーララ州の都市で、人口は現在約44万人。
カリカットの名前は、インド西部にある大都市カルカッタ
(現在の名前はコルカタ,Kolkata)と混同しやすい。

東アジアとイスラム世界をつなぐ重要な港として栄え、
イブン・バットゥータや鄭和が立ち寄った記録が残されている。
何より有名なのは1498年のヴァスコ・ダ・ガマの来訪。
ポルトガルから喜望峰をまわりインドに達した偉業は、
大航海時代においても最も重要な出来事ひとつであった。

正確には、ヴァスコ・ダ・ガマが最初に上陸したのはカリカットの
北約15kmほどの位置にあるKappkadavuとされる。
イスラム商人が独占していた西アジアの貿易利権をポルトガルが
手にしたことで世界は大きく変貌していくこととなる。

近代的な港湾施設が建設されなかったこともあり現在は時代の流れから
取り残された一地方都市となっているが、かつての繁栄のあとを
各所に残している。
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2009年12月08日

アウシュヴィッツ=ビルケナウ強制収容所(ポーランド)

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Das Konzentrationslager Auschwitz-Birkenau
世界遺産登録名は「アウシュヴィッツ・ビルケナウ ドイツ・ナチの
強制・絶滅収容所」。1979年に「負の遺産」として登録された。
ナチスドイツによるホロコーストの象徴ともいうべき場所である。
現在のポーランド南部、古都クラクフにも近いオシフィエンチム
(Oświęcim, ドイツ語名アウシュヴィッツ, Auschwitz)近郊のブジェジンカ
(Brzezinka, ドイツ語名ビルケナウ, Birkenau)にあり、現在は
国立オシフィエンチム博物館となっている。

この地に強制収容所があったのは1940年から1945年にかけて。
施設群はビルケナウだけでなく、オシフィエンチム東方にまで
広がっていた。最初に使用されたのはポーランド軍が使っていた
建物で、「第一強制収容所」と呼ばれる。
収容者が増えたためビルケナウに第二収容所が作られた。
鉄道が収容所まで引かれ、ヨーロッパ各地からユダヤ人や政治犯
などがここに送り込まれた。劣悪な環境下に数万人の収容者があり、
銃殺やガス室による殺害方法で次々に「処分」されていったという。
入り口にある通称「死の門」などが有名。

1945年1月に収容所がソ連軍によって解放されるまでに犠牲となった
人の数ははっきりせず、それを研究した人によって数は違うが、
最少でも15万人、多いものでは数百万人とされる。
戦後ポーランド政府によって第一・第二収容所は博物館となり、
繰り返してはならない悲劇を現代に伝えている。
第一収容所は多くの建造物が現存しているが、第二収容所は
簡素な木造建築が多く、解放前にナチスによって破壊されたものも多い。
ガス室とされるものも破壊されており、第一収容所にて
見学できるものは復元されたものである。
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2009年12月07日

ワスカラン(ペルー)

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Huascarán
標高6,768mで、ペルーの最高峰。アンデス山脈のブランカ山系
に属する。山頂部は北峰(標高6,655m)と南峰に分かれている。
ワスカランという名前は16世紀のインカ皇帝、ワスカル
(在位1527-1532年)に由来する。
初登頂は1932年、ドイツ・オーストリア隊によって達成された。

周辺は「ワスカラン国立公園」となっており、多様な動植物が
生息している。コンドルやプヤ・ライモンディという「100年に
一度だけ花を咲かせる」パイナップル科の植物が有名。
1985年に世界遺産にも登録されたこの国立公園は、「世界で最も
高い場所にある国立公園」ともされる。

1970年に起きたアンカシュ地震では、北峰が崩落し、氷河の氷と
ともに崩れ落ちて下流を襲い、ユンガイという集落がほぼ壊滅した。
高台の墓地周辺にいた人だけが助かったものの2万人近くが死亡した。
現在のユンガイは被害地の北に新設されたものである。
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2009年12月05日

USセルラー・フィールド(アメリカ合衆国)

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U.S. Cellular Field
イリノイ州シカゴにある、シカゴ・ホワイトソックスの本拠地球場。
1991年に開場した野球専用スタジアムで、当時は北隣にあった
前球場と同じくコミスキー・パーク(Comiskey Park)と呼ばれていた。
2003年よりアメリカの携帯電話会社が命名権を獲得して現在の
名前になっている。

旧コミスキー・パークは1910年から81年間使用された歴史あるスタジアム
であったが、老朽化が問題となり建て直すこととなった。シカゴには
もう1チーム、シカゴ・カブスが存在しているが、
それでもホワイトソックスは移転をちらつかせつつシカゴに残ることを決断。
1990年以降顕著となる「レトロ・クラシック」のさきがけともいうべき球場
が建てられた。収容可能人数は約4万7千人。

旧コミスキー・パークにもあった、ホームランを打つと花火があがる
「爆発スコアボード」や、その他多くのファン向け施設、イベントが
あり、観戦者を楽しませている。
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2009年12月03日

グレートビター湖(エジプト)

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Great Bitter Lake
スエズ運河の中間にある湖。南にあるリトル・ビター湖
(スモール・ビター湖)とつながっており、北は地中海、
南は紅海につながる。もともとスエズ運河開通前にも
存在していた。
幅の狭いスエズ運河において、船がすれ違い通行できる
数少ない場所である。

1967年、第三次中東戦争が起こるとスエズ運河に隣接する
シナイ半島が戦場となり、運河はいったん閉鎖された。
グレートビター湖では14隻の船が動けなくなった。
戦後、スエズ運河自体がエジプトとイスラエルの軍事境界線と
なったため、運河が再開通し再び船が通行できるように
なったのは第四次中東戦争によってシナイ半島がエジプトに
返還された1975年のことであった。
この8年間の間、停泊していた船団(砂をかぶることから
イエロー・フリートと呼ばれた)から出された郵便物には
オリジナルのスタンプが押された。GBLA(The Great Bitter
Lake Locals)という文字が入ったスタンプの押された郵便物は、
コレクターの間で珍品として売買されているとか。
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2009年12月02日

バンク・オブ・アメリカ・プラザ(アメリカ合衆国)

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Bank of America Plaza
アメリカの高層ビルはほとんどがニューヨークとシカゴに
集中しており、アメリカ国内で9番目の高さのこのビルが
それ以外の都市では1番高いビルとなる。
デザインは後に汐留シティセンターも手がけたケビン・ローシュ
(Kevin Roche)による。

ジョージア州の州都アトランタにあり、高さは312m。名前の通り、
アメリカ最大の金融機関バンク・オブ・アメリカの所有するビル
ではあるが、本社ではない。1992年完成時の名前はネイションズバンク・
ビルディング(NationsBank Building)であった。1998年に
ネイションズバンクがバンク・アメリカと合併しバンク・オブ・
アメリカが誕生したため、ビルの名前も現在のものになった。

エンパイア・ステート・ビルのように高層部が尖塔状になっており、
これは1930年代のアール・デコ風となっている。またビルの色も
暗めの赤茶色をしており、新しいビルでありながら歴史のある
印象を与えている。
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